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essay「痕跡のモルフォロジー」中里伸也論

2018年11月3日


執筆  深川雅文


中里伸也の新作は、アクリル絵具やスプレーを用いて画面に色と形を塗り込めた「画」である。「描く」という行為に優っており、生まれ出た「画」は、一見したところ、ニューヨークの抽象表現主義を彷彿とさせる熱気を感じさせる。中里の作品は、例えば、一年前の双ギャラリーでの展覧会「静物と抽象」に見られるように、アトリエの空間をいわばキャンバスとして、自ら描いた絵画の断片や様々な立体物を配置して空間を構成し「画」に向けて描出する手段として写真を用いることで、写真と絵画を往還する独自の世界を切り開いてきた。今回は、重ねられた絵の具により、きっかけに置かれた写真的空間は余すことなく決然として消し去られている。作家のこれまでの創作活動を振り返り、その軌道を照らしてみたい。


中里の作品は、私に、絵画を巡るあの奇跡的な光景を想起させる。先史時代に遡る、描かれた画の原初たる洞窟壁画である。1994年のショーヴェ洞窟壁画の発見は、その起源を紀元前約32,000年に遡らせた。狩猟を業としていた当時の人々の中から出で立った画師は、自然の中で出会った多くの動物たちを洞窟の岩盤に描いた。ショーヴェ洞窟に描かれた動物たちの画は、ラスコーやアルタミラ洞窟壁画と比べより外連味なき闊達な描写を見せ、そのアニマと存在のアウラを清新に伝えてくる。それらの描写の中には、別々の絵が重ねて描かれた箇所も見受けられる。掌に絵の具をつけて岩盤にスタンプした画面も登場する。無数の手の影が多層に重ねられたイメージは、何ものかに駆りたてられたかのようなドライブ感を帯びている。なぜ、重ねたのだろうか? この問いはすぐに解けるものではないが、絵画の歴史の出発点にイメージを重ねるという行為が生じたのは、けして偶然ではなく、絵を描く行為にとって何か本質的なことを孕んでいたのではないかというビジョンがすっと頭をもたげてくる。


日本で写真術を習得した中里は、2003年、アメリカン・モダニズムの画家、マックス・ウェーバーなども輩出したニューヨーク・ブルックリンのプラット・インスティテュートに入学し、写真のみでなく絵画など造形芸術の基礎を学んだ。街のそこかしこに描き殴られたグラフィティは、中里を魅惑し、夜中にグラフィティを撮った作品を制作している。「Modern Cave」(2004)と名付けられた初期の写真作品は、現代に蘇った洞窟壁画の在処を示しているようだ。さらに、学校の授業や美術館で出会った絵画の体験は、中里の心奥に霊感を授け、帰国後、2010年代に入り、写真と絵画そしてグラフィックを巡る思索に導かれた制作を進めた。


自らのアトリエの空間に、様々なモノや自らが紙やガラスに描いたイメージの断片を配置しながら写真でその空間を撮ってイメージとして提示した作品には、写真を画筆に化した抽象的な静物画の趣がある。こうした方法で生まれた作品には、例えば、セザンヌ、モランディ、マレーヴィチ、デ・クーニング、ド・スタールなど何人かの画家の作品が創作の足がかりとして置かれたものもある。それらは、ただし、画家の作品の模写ではなく、他の作家の絵画のイメージに自らのビジョンを重ねながら、元のイメージから超え出ていく。こうした創造の位相は、歴史に跡を見ることができる。例えば、ピカソの「アヴィニヨンの娘たち」(1907年)に見られるエル・グレコの「聖ヨハネの幻視」(1609-14年頃)に描かれた裸婦のイメージの痕跡、マネの「オランピア」(1865年)に見られるティツィアーノの「ウルビーノのヴィーナス」(1538年)の痕跡のように。優れたイメージにイメージを重ねて触れる時、いわば弁証法的に火花が走りそこに奪胎の美力が生まれた。


ニューヨーク留学から帰国後の2006年、今日まで中里が追求してきた芸術のあり方の発端となる作品が生まれた。戻ってきて、途方に暮れた時期があったという。自身が表現手段として選んできた写真とは何か? 見ることとは何か? 根源的な問いが作家の心を掴み、頭を悩ませた。そんな中、しばらくして中里は前に進むために手を動かして制作を始める。取り上げたのは「近代写真の父」(Père de la photographie moderne) と形容される孤高の写真家、ウジェーヌ・アジェ (1857〜1927) の写真であった。パリの都市空間と建物の軒先や屋内など細部に渡って濃密に写し取ったアジェの写真のイメージを自らの手でミニチュアに作り上げて撮影し、写真で提示するという作品である。「アジェを自分の中で模写してみた」と中里は言っている。とはいえ、正確に模写したわけではなく、所々に今日の事物 (例えば、リカちゃん人形) を入れ込むなどして軽妙な奪胎も試みられている。アジェに倣ったこのシリーズは、創作における引用ないしはアプロプリエーション(取り込み)の豊かな可能性を示している。いや、より踏み込んで言えば、ヒップ・ホップにおけるサンプリング的なイメージの止揚と言った方が相応しいのかもしれない。その意味で、同時代の先端的な感覚の共鳴も聞き取れる。写真でも絵画でもグラフィックでも、「画」として存在するモノであればなんであれ取り込んで扱うことが可能である。要は、そこからどのように転成するかだ。中里が、アジェを取り上げたのには含蓄がある。役者としての成功から見放され、画家に成る夢も破れたアジェがようやく辿り着いたのが写真であった。ただし、当初はけして「写真家」とは名乗らない。『芸術家のための記録』という看板を扉にかけて写真を業とし始めたのだ。彼には、画家たちの絵画の下図として自らの写真を売りさばき、自らのイメージを画家の絵画の中に痕跡として巧妙に忍び込ませるという魂胆があった。例えば、ユトリロは、アジェの写真を買い求め、元のビジュアルとして用いてパリの街並みを描いている。顧客にはヴラマンクやマチスの名もあった。


写真の痕跡を消し去る方向に大胆に振った新作は、写真と絵画との間の往還運動に関する中里の現在の到達点を示している。他の画家ではなく、自らがかつて制作した写真の断片を痕跡として重ねている点も見逃せない。中里は、自分の思いをこう語っている。「純粋なものをつくりたい」モダニズム的な響きがありながらも、中里の射程は、単純にモダニズムへの回帰ではけしてないと思われる。痕跡を「消す」というパフォーマティブな様相がより前面に出ているからである。その行為がどこに向かうのか、痕跡は逆襲するのか、続いてゆく運動の振幅と変容を見詰めたいと思う。


(ふかがわ まさふみ キュレーター / クリティック)


※本テクストは、小金井市の双ギャラリーで開催の展覧会「中里伸也展 New Approaches」(20018.11/3 ~ 12/9) のパンフレットのために執筆したものである。




【展覧会情報】

展覧会名: 中里伸也展 New Approaches

会期: 2018年11月3日(土)~12月9日(日)


https://soh-gallery.com/wp/


●双ギャラリー

〒184-0003 東京都小金井市緑町 2-14-35

tel. 042-382-5338 fax. 042-382-5589

●中里伸也 公式Website


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