鈴木一誌『ブックデザイナー鈴木一誌の生活と意見』


2017年9月8日

ラディカルな批評の書


ドイツ語で“デザイン”という言葉は、“エントヴルフ”(Entwurf)とも記される。これは、“前に投げかける”という意味を含み、ハイデガーの“投企”という概念とも繋がっている。21世紀に入り、デザインのこの性格は、AIなどのハイテクノロジーの驚異的な進展により強大化し、光と影の諸刃の剣となって私たち、人間の存在のあり方を支配しようとしているように感じられる。デザインは、人間に先回りする傾向を推し進め、「予測された未来」(著者)が、私たちの生を拘束し始めているのではないかという不安が頭をもたげてくる。その大元は人間が産み出したものであったとしても。


本著者、鈴木一誌はブックデザイナーとして、1990年代から今日に至るまでのデジタル革命の実相を印刷デザインの最前線で身をもって体験し、絶えず思索を重ねてきた。その原体験が、鈴木に、書物の世界に留まらない世のデザイン全般への根源的な批評の視点・支点となり、鉛筆からiPhone、扇風機、クルマ、さらにはGoogle検索やAmazonの販売システムから国家に至るまで総合的な視点で批評する力を与えている。つまり、本書は、控えめな書名とは裏腹に、デザインの今日的問題に関する、ラディカルな批評の書である。特筆すべきは、生活の現場に根ざした視点を貫いており、リアリティのあるデザイン論になり得ている点だ。思索と執筆の絶妙なアクロバットと言ってもいいだろう。


高度なテクノロジーと巧妙なデザイン戦略が合体し、「未来の先取り=行為の分節化は、すでに生活のすみずみにまで及んでいる」(著者)。それを回避するのはもはや難しいほどに私たちの生を規定している。こうした潮流は、人間の欲望を隅々までコントロールし、産業化していく。デザインは限りなく空気的に浸透し、世界をフラット化しようとしている。「デジタルな工程を経ていないものはもはや存在しない」その便利さと心地よさは、私たちを魅了し、そうした世界への耽溺へと誘う。いや、ちょっと待て、と鈴木は釘を刺す。そして、「ひとは消費者であってはならない」という箴言を静かに発するのである。“世界内存在”としての人間が限りなく“デジタルネットワーク内存在”に近づいた時、私たちの生は薄っぺらく情けないものとなってしまうのではないか? 本書からは、そうした潮流から離反することの難しさを見据えながら、生の肌理、ざらざらとした触感を、言葉で捕まえようとする鈴木の姿が見えてくる。「時代のわずかな凹凸を文章の痕跡へと変換できないか…」


本書は、2005年から2016年に渡る鈴木のエッセイから成る。デザインとデジタル・テクノロジーの関係が加速度的に進化・深化していった時期に重なっている。例えば、2007年、iPhoneが登場し、2011年に生みの親、ジョブズが他界した。デザインの力の変容と巨大化を見つめるとともに、それを評論することが切実に求められている時代に私たちは生きているのではないか? ひょっとしたら“デザイン”は“神”に近づくのかもしれない。その時に“デザインは死んだ!”と喝破できる智者が必要なのだ。本書は、そうした情景も想起させるのである。


深川雅文 (キュレーター/クリティック)



● 本原稿は、『週間読書人』の書評欄(2017年9月8日)に掲載された鈴木一誌『ブックデザイナー鈴木一誌の生活と意見』(誠文堂新光社刊 2017年7月)についての書評である。なお、本書評は、『週間読書人 Web』(2017年9月11日)にも掲載されている。 https://dokushojin.com/article.html?i=2053





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