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interview with Thomas Ruff

2016年12月11日 


インタビュアー 深川雅文


タイトル「写真の解放 ベッヒャー夫妻の遺産とそこからの飛翔」


"Liberation of the Photography: Legacy of Bernd & Hilla Becher and Soaring from them" Interview with Thomas Ruff 11/12/2016 Tokyo

本テクストは、2016年、東京国立近代美術館ならびに金沢21世紀美術館で開催された展覧会「トーマス・ルフ」で来日した作家、トーマス・ルフへのインタビューである。その一部は、『日本写真年鑑2017』(日本写真協会)に収められているが、氷山の一角くらいに凝縮されているので、あらためてここで全体を再録しておきたい。

出来事 トーマス・ルフ展開催(東京国立近代美術館 会期: 2016年8月30日~ 11月13日 / 金沢21世紀美術館 会期: 2016年12月10日〜2017年3月12日)


キーワード: ベッヒャー夫妻 ベルント・ベッヒャー ヒラ・ベッヒャー ポートレート メディアとしての写真 真性性 (Authenzititaet) マニュピレーション テクノ画像

 

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トーマス・ルフ インタビュー

インタビュアー 深川雅文

タイトル「写真の解放 ベッヒャー夫妻の遺産とそこからの飛翔」


導入

私は、深川雅文と申します。川崎市市民ミュージアムという美術館のキュレーターです(注 インタビュー時)。展覧会では、主に写真、デザイン、現代美術の企画を行ってきました。1988年に生まれた川崎市市民ミュージアムは、公立美術館として日本で初めて写真部門を設置してコレクションを行い、写真文化の振興に力を入れてきました。そうした活動の中で、とりわけ、現代の写真表現の可能性を切り拓く国内外の先進的な写真家の紹介にも力をいれてきました。その重要な企画のひとつとして、ベルント&ヒラ・ベッヒャーとその主要な教え子たちを特集した展覧会「遠・近」を1996年に開催しました。この展覧会は、ベッヒャー夫妻と、ルフさんを含む主要な弟子たちに関する、日本で最初の大規模な展覧会として記憶されています。ルフさんの作品としては、巨大なポートレートと星の巨大な作品、そしてインテリアの作品が展示されました。アンドレアス・グルスキーの作品が日本で展示されたのもこの時が初めてとなります。後でわかったことですが、この展覧会は、日本の若い写真家やアーティストにも大きな影響を与えたようです。というのは、後に知り合った若いアーティストたちの何人かから、実は、あの展覧会を見て、衝撃を受け、写真を自分の表現手段としようと決意しました、ということを聞いているからです。

この展覧会から約10年後の2007年の6月22日、ベルント・ベッヒャーが他界しました。ベルント・ベッヒャーが亡くなった直後に、共同通信社からベッヒャー追悼の文章をお願いしたい話が私にあり、執筆した原稿は、日本全国のさまざまな日刊新聞に掲載されました。10年の間に、いかにベッヒャー夫妻の芸術への理解と敬意が広がっていったかということを物語っています。それと並行して、トーマス・ルフさん、トーマス・シュトルート、アンドレアス・グルスキー、カンディダ・へーファーといったベッヒャー門下の優れたアーティストたちについても日本での理解が深まりました。来年は、ベルント・ベッヒャー没後10年になります。世界中でベッヒャーについて思いを馳せ、考えるいい年になればと思っています。

前置きが長くなりましたが、三つ、質問をさせていただきます。


質問(1) 深川: ベッヒャーの教えとルフさんの作品の一致点と差違についてお聞かせください。

優れた芸術家であり教師であったベッヒャー夫妻から、ルフさんを含め学生たちは当然、大きな影響を受けたと思いますが、真の意味での芸術家を目指す学生たちは、その先生の教えに耳を傾けながらも、ある意味でその影響から脱して、表現の新たな領域を切り拓いていかなければなりません。ルフさんはその代表的な作家のひとりで、ベッヒャーの巣から外に出て、大きくグルーバルなアートの世界に飛びたたれました。そこで、ルフさんに、伺いたいのは、どの時点で、あるいはどの作品でご自身は、ベッヒャーの下から大きく飛躍したのか、ということです。そのために、私は、ルフさんの初期の代表作である「ポートレート」と「家」のシリーズについて、次のような質問をしたいと思います。

ヒラ・ベッヒャーは、1989年のあるインタビューで写真作家としての態度について、次のように語っています。

「…あなたの対象に誠実でいなければなりません、そしてあなたがそれをあなたの主観性によって破壊しないこと、と同時にその対象と関わることを確かめなさい。…」

この言葉は、ルフさんの初期の代表作のひとつである、ポートレートのシリーズにもよく当てはまります。身近な日常にいる人々を対象とし、その姿を厳密に写し取っているからです。このポートレートが数多く展示されたとしたら(初めて発表された時は、小さなサイズで約60点ほどが展示されたとうかがっています)、 産業遺跡ではなく人間のタイポロジーという視点を強く感じたかもしれません。その点では、ベッヒャー夫妻の継承であり、作品の新たな展開と見ることができるかもしれません。しかし、ルフさんは、小さいサイズを止めて、巨大なサイズで展示するようになりました。そうすることで、タイポロジー的な視点は弱められます。それに代わって、写真というメディア自体の在り方を問うという新たな視点が強く現れてきたように感じられます。この部分は、ベッヒャー夫妻の表現領域を大きく超えたところだと思います。その意味でも、ポートレートの作品は、重要なステップだったと思います。ポートレートシリーズにおける、小さなサイズから大きなサイズへの転換について、お話ししていただけませんか?


【トーマス・ルフの言葉】

ポートレートの時にはベッヒャーと似た方向でシリーズでタイポロジーの仕事でした。ただし、小さな違いもありました。カラーでやったことはそうですよね。ベッヒャーの徹底性を自分の仕事で同じように貫くということは無理だということを思っていたのです。ベッヒャーの塔の写真は、徹頭徹尾比較ということで徹底していましたが、同じような仕方でポートレートで行うとしたら当時の人口で40億人写真を撮らないといけないことになるわけで、事情は異なります。というわけで、私の場合は、被写体をデュッセルドルフのアカデミーの同僚に絞りましたた。プリントの大きさについては、1986年の段階で、ジェフ・ウォール、ギュンター・フォルク、カタリナ・ジーバーデンなどの作家が大きなサイズの写真を展示していまして、彼らのように大きなフォーマットで写真を展示したいというのは当時の多くの人の希望するところでした。

デュッセルドルフの展覧会で、「ポートレート」を小さいフォーマットで展示したら、当人たちが集まってきて、僕が写っていると言い出しました。彼らは喜んでいました。で、訪れた人がこれはハインツだ、これはアンナだとか言って話し始めたのです。僕には、それが気に入りませんでした。それは、ハインツさんではなく、ハインツさんの写真であるわけですが、皆さん、写真と実物を混同していました。あるいは、本当は、写真を見て欲しいのに、写真の後ろにあるものしか見ていないというような状況になったことは自分の意図するものではないと思ったのです。

そこで、次に、巨大なサイズの写真のポートレートにして見せたのですが、それがショッキングな大きな効果を生み出したわけです。サイズがすごく大きいということで、初めて写真がメディアとしてどういう可能性があるのかが見えてきました。それまでの絵だとかハーフトーン印刷とは全く違うハイクォリティの写真の精密さ、正確さ、精緻さが写真というメディアの独自の強みであるということを自分自身に分からさせてくれたショッキングな体験となりました。

その頃、先生のベルント・ベッヒャーが私に言ってくれた貴重な言葉があります。ベルントは、「写真をこれからやっていくのなら、メディアとしての写真がどういうものであるのかということを常に考えなさい」と言ってくれました。

言われたことに従って、私は、ポートレートの写真を作る時に、できるだけミニマリスティックにかつコンセプショナルに仕事をしてみたいと思いました。その時、肖像写真の歴史を振り返って、歴史をもう一度、ゼロに戻したところで仕事をしたいと思いました。それまでのポートレートの作り方は独特な色々な歴史的なスタイルがあったわけで、アウグスト・ザンダーのようなやり方を私は克服してもう一度、ゼロに戻した形で出発したいと思ったのです。

当時の大きな肖像写真を見ると、これは何%がドキュメントで何%が思想的な部分かをいつも考えて、揺れるところを感じます。たしかにそれは実在している人の写真ですが、それ以外の部分、つまり写真についてあるいはポートレートについて色々考えるという一種のメタの部分、例えば、写真のジャンルはどういうものか、ポートレートの歴史はどういうものかなども作品の大きな部分になっていて、それが何%から何%というところで常に揺れ動いているということを感じます。

もう一つだけ、ポートレートについて話しておきたいことがあります。デュッセルドルフで私たちが学んだ時には、もちろん、写真のコースだけでなく、ゲルハルト・リヒターなどいろんな重要なアーティストがいたわけで、私も写真の世界にとどまっていようというような思いで学んでいたわけではありません。むしろ、写真のプレゼンスというものを現代美術の中でどういう風に確立しようかということを考えていた時に、この大きなポートレートというものが、写真をやっとのことで解放してくれたという思いを思っています。それまで写真というのはどうしても現代美術の中で、例えば絵画とか彫刻とかインスタレーションなどに比べて二流の分野であるという思いがあったわけですが、この大きなポートレートによって初めてそうしたものと肩を並べる存在になったと思っています。



質問(2) 深川: ベッヒャーの教えとルフさんの作品の一致点と差違についてお聞かせください。

再び、ヒラ・ベッヒャーのさきほどの言葉に関する質問です。 (「…あなたの対象に誠実でいなければなりません、そしてあなたがそれをあなたの主観性によって破壊しないこと、と同時にその対象と関わることを確かめなさい。…」)

「ポートレート」とほぼ同じ頃に制作された「家」のシリーズは、身近な対象を写真であらためて丹念に取り上げていくという点でベッヒャー夫妻が切り開いたテーマに寄り添いながらも、ベッヒャー夫妻ほどの厳密なタイポロジーからは距離を置いて、まなざしの自由さが感じられる作品です。この作品については、カタログの展示解説でも書いてありましたが、コンピュータによるネガの合成という手法が取られているということです。画像制作のために操作を行うという手法は、ベッヒャーの先の言葉とは対立しないのでしょうか。ベッヒャー夫妻は、そうした手法に対しても理解はあったのでしょうか。ルフさんの同門であったアンドレアス・グルスキーは、「ライン川」(1999)という作品で、土手を歩く人や、水上に浮かぶ船などをデジタル処理で消し去ったことが知られています。ベッヒャー夫妻は、このような手の加え方には批判的な言葉を残しています。少し意地悪な質問かもしれませんが、お聞かせください。


【トーマス・ルフの言葉】

先ほど引用されたヒラ・ベッヒャーのモットーに関してですが、それは、少し事柄を単純化した言い方であるということができるかと思います。1987年頃でしたか、それが言われた時に既にそれは必ずしも正しいとは言えなかったと思います。少なくともベッヒャー夫妻にとっては、そういう仕方で写真を撮っていたかもしれませんが、私自身にとってはもはやそこから距離を取っていたというようなモットーであったと言えます。私自身は、例えば、先ほどから話に出ているポートレートの作品を撮った時にも感じていたのですが、写真は本当のものを撮るんだということ、つまり、真性性 (アウテンツィティテート) という信仰を失ったと思っています。カメラは確かに本物を撮りますが、どこにそのカメラがあるかということをカメラは決めることはできないわけです。例えば、ポートレートで人を撮る時にも、どの人を撮るのかということを決めるのはカメラではなくカメラマンである私ですし、芸術家でありますし、どんな服を着てもらおうかとか、光の加減とかどっちを向いてとかいろんな指示をだすわけです。カメラは確かにその結果として人間の写真を撮りますが、アレンジをするのは私ですので、アレンジをしてどっかで介入するということは先ほどのヒラ・ベッヒャーさんが言ったようには単純にはいかないのだと思います。

「家」の写真についての質問にお答えします。確かに私はベッヒャー夫妻のやり方に従って動いた部分がたくさんあります。きちんと正面から撮るとか、横から撮るとか、なるべく真性のもの、本物のものとして、本物らしく写そうということを心がけました。でも、街で写真を撮りますと、どうしても理念に合わないものが入ってくるわけです。いろんなものが入ってくるわけです。例えば、駐車した車が入ってくるとか、交通標識が立ってるとか、あるいはシンメトリックになって欲しいのにどっかで片方の窓が開いているとか。いろんな思わぬことが起こるので。私としては一番いい位置にカメラを置いて取ろうとしたわけですけど、どうしてもそれにそぐわないものが入ってくる。ポートレートの時から考えていることですが、写真というものは本当に真性なものだけを撮るんだという信仰は捨てましたから、その意味である程度、必要最小限の修正はやむを得ないと思っていました。「家」の35点の作品のうち2点で加工した作品です。家の前の交通標識や木を取り除いたものが一点、シンメトリックであるべき片方の窓が開いていたのを閉めるといったものが一点あるのは確かです。

この操作について、ヒラ・ベッヒャーに直接聞いたことがあります。ヒラさんは、私に、「トーマス、そんなことをしてあなたは悪い子ですねということでもないでしょうね。あなたが、直接、その家に行って、家の人に、ちょっとすいませんけど窓を閉めてくださいと言って閉めてもらったら、あなたが写真の上でマニュピレーションをしたのと結果としては全く変わらないですよね」とおっしゃいました。

マニピュレーションについてですが、当時の段階としてショックだとされたのは、むしろ修正というものをデジタルで行なったということでした。フォトシッョプだとか便利なものがあったわけではなくて、ネガティブを使いながらそれをコンピュータ上で操作することができるような会社が当時は一つしかなくて、ネガティブをスキャンして操作してもう一度、それを写真にするということをしたということがむしろ大きな話題となりました。


深川 ありがとうございました。マニュピレーションということが写真というメディアの本質に実は関わっている。それが真性性から写真を解放する一つの発見となったと理解しましたが、よろしいでしょうか?


【トーマス・ルフの言葉】

本物らしさ、真性性の問題ですが、写真が真性性と関係しているという考え方は昔からあったものではなくて、むしろかなり新しいものなのだということをきちんと理解しなければらならないと思います。写真ができた頃は、写真のレンズの性能はひどくて、その後の現像のプロセスもひどくて、本物がきちんと保証されるという段階からはほど遠いものがありましたので、それを例えば新聞に載せようとしたらいろんなところを加工しなければならないような状況が1920年代くらいまで続いたのです。従って、その頃の、新聞に載る写真はちょっと手を加えながら写真を使っているという状況の中では、写真は本物を表すというようなイデオロギーはまだなかったのです。それが出てきたのは、1920年代くらいから、例えば、ライカが出てきた頃からではないでしょうか。あるいは、例えば、フランスの19世紀の写真家、バルデュスが修道院の回廊を撮った写真のことを見てみますと面白いです。当時のレンズの被写界深度が限られたカメラで撮らなくてはならない状況ですので、近いところから遠いところまでいっぺんに撮ることができないわけです。そこで、彼は、深度を変えて何枚も同じ所を撮影してそれらを後から合成して一枚の写真にしています。これは操作なのでしょうか? マニュピレーションなのでしょうか? なんなのでしょうか? そういう問題が出てくるのです。


深川 ありがとうございました。写真の歴史に関する深い洞察と解釈がルフさんの仕事の背景にあるということを今のルフさんの言葉で理解することができました。

最後の質問です。


質問(3) 深川: テクノ画像の氾濫という状況の中でのアートの可能性についてお聞かせください。

今日、私たちの身の回りには、コンピュータ、インターネットに基づくグローバル・ネットワークの環境が世界的に浸透し、また、iPhoneに代表されるスマートフォンが普及することにより、人類がこれまで体験したことのないレベルで、私たちの生活環境の中に画像や映像が溢れ返っています。1973年に、ナム・ジュン・パイクは、映像が氾濫する社会を想像して、世界中のさまざまなチャンネルがブラウン管を通じて流れてくる「Global Groove」というビデオ作品を発表しましたが、そこで夢見られた映像環境が現実に私たちの生活の中に浸透しているのです。メディア哲学者のヴィレム・フルッサーは、1991年に不慮の交通事故で亡くなり、インターネットが普及する世界の状況を体験することはなかったのですが、その著書『写真の哲学のために』(1983)の中で、現在のような未来を予見し、その状況を「テクノ画像の宇宙」として描いています。テクノ画像の原点は写真であり、フルッサーは、その写真を哲学的に分析することでテクノ画像が支配する世界の生活・文化のありかたを予見したのでした。

今回の東京国立近代美術館の展示では、nudes(1999- )、Substrate(2001- )、jpeg (2004- )、cassini(2008- )など世紀末から21世紀に入ってからの代表的なシリーズを一堂に会して見ることができました。それらの作品を見ていくと、フルッサーの本を翻訳した私にとっては、ルフさんは、まさに、テクノ画像の宇宙をテーマにしたパイオニア的なアーティストだと思われました。テクノ画像の氾濫は、ここ数年間を振り返っても、GoogleマップやGoogleビューの発達や監視カメラの浸透に見られるように、ますますその水位を高めていると思われます。私たちはその水位の高さに呑み込まれないだろうかと私は心配しています。そこには、つまり、人間にとってリアルとは何か、モノのリアリティとは何か、世界のリアリティとは何か、私は何者か?といった現代の大きな哲学的な問題が立ち現れてきています。今後、テクノ画像は、人口知能とも連動しながら、さらなる展開を見せるはずです。だからといって、哲学がこうした時代にどれだけの有効性を持ちうるのか、はなはだ、疑問でもあります。そこに、アートの力が重要になってくると思うのです。混沌とした、そして、覆い隠されてしまってなかなか見えなくなっている世界の深層を、暴露し、開示する力としてのアートの力です。ルフさんの仕事は、こうしたアートの力に深く関わっているものだと思うのです。

このことと関連して、テクノ画像の氾濫のなかで、写真を用いたアーティストは、今後、テクノ画像の宇宙をどのようにして進んでいくべきなのか? どのようにして作品を創造していくべきなのか?特に、若手のアーティストに対して、メッセージをいただければと思います。


【トーマス・ルフの言葉】

難しいご質問ですね。フルッサーの本については、写真に関する本の中で最も重要な本の一つだと思いますし、私自身、影響を受けている本だと思います。

アーティストが何ができるか、何をすべきかという質問ですが、例えば、先ほど挙げていただいた私の作品、 jpegとかcassini とか、そうした作品でご覧いただけたと思いますが、この時代のアーティストとして時代の問題と取り組むという姿勢が、私のやっていることで必要なことであると思います。例えば、substructのシリーズですと、アナログとデジタルがどういう風な関係になっているのか、あるいはそれがアナログからデジタルに変化することで何が起こっているのかということがそこで見て取れるように仕事をしているのです。例えば、デジタルにするときに、デジタルのピクセルを色々と変えてみたり、デジタルの精度を色々変えてみたりというようなことが、写真全体の根本に、substructにどういう影響を与えるのかということがわかるシリーズになっています。それから、nudesのシリーズは、ヌード写真そのものの問題というよりは、インターネット社会で身体を巡って色々な覗きの関心だとか、自分をネット上にヌードで晒し者にしていくとか、現代における社会の問題そのものについて考えていこうという、思想と連動するシリーズになっています。私自身は、写真を写真データとして流通させるということに関しては、一貫してそこには加わっていません。写真というのはプリントして壁にかけてきちんと見てもらうというものとして考えています。要するに物理的にそこにあるものとして考えています。見てもらう、そして訪れた人に考えてもらう。一緒に考えてもらう。そういうメディアだという風にと考え続けている。それが私のポジションです。

テクノ画像が溢れているということに関してですが、これはそういう社会になってしまっているということしか言いようがないのですが、私が思うのは、ほとんど、iPhoneとかで撮りまくっている写真の多くがプリントされることなくコンピュータの中にずっと蓄えられている、それによってもうほとんど埋葬されてしまっているような状態になっていて、そのまま亡くなってしまうような運命になっていて、その写真は飾ってあれば生きていくかもしれないけど、ほとんどの写真は消えていく運命にある。こういう状況に対してどういうことができるかということを聞かれても私としてもいいアイデアがないのですが、ただ私が言うことは58歳のお爺ちゃんが言っていることなんでね(笑)。若い人はまた全然違う考え方をするかもしれませんし、若い人たちはずっと時代の先の方で全く別の写真との関わり方をしているのかもしれません。あるいは一度、全部、撮りまくっている写真を全部プリントしてそこに並べて部屋中、自分の写真に埋もれてみるといかにそれがナンセンスなことかということがわかるかもしれませんね。


深川 ありがとうございました。私は、日本でベッヒャーとその学生たちの芸術的活動が1990年代当時ではまだちゃんと仕方で紹介されていなかったので、紹介したいと思い、関連する展覧会を企画し、その時、何度か、ベッヒャー夫妻とは手紙やファックスでのやり取りをさせていただきました。ルフさんとのこのインタビューも、何かベッヒャー夫妻が実現に手を貸してくれたのではないかと感じています。お話を伺っている間も、どこかでベッヒャー夫妻が一緒に聞いているような不思議な感覚がありました。最後に、ベッヒャー夫妻にも感謝したいと思います。


(ふかがわ まさふみ 川崎市市民ミュージアム学芸員〔当時〕)

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