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essay「バウハウスへの眼差し EXPERIMENTS」展 趣旨文

2019年10月21日〜11月22日開催


執筆  深川雅文


「総合」と「実験」のビジョン


なぜ、東京綜合写真専門学校からは、かくも多くの日本の写真賞の受賞者が誕生したのか?

答えの鍵は、この学校の写真教育のビジョンにあったと言えよう。


1958年9月にこの学校を創設した重森弘淹は、この学校を写真教育の「バウハウス」と形容している。1919年に建築家、ヴァルター・グロピウスが開校したドイツの芸術学校「バウハウス」は、諸芸術を「建築」の下に総合するというビジョンを掲げて造形教育に革命を起こし、後の美術教育に計り知れない影響を与えた。戦後の日本の美術教育も例外ではない。「東京綜合写真専門学校」は、写真教育の場にその精神を取り入れた最初の学校であった。校名に入れられた「綜合」性という視点から、写真家だけでなく様々なジャンルの批評家、理論家を招き、写真だけでなくアートやデザイン、心理学や自然科学なども含んだカリキュラムは、技術中心の写真教育に革新をもたらし、発足当時、写真教育における日本の「バウハウス」として注目を集めた。アメリカのニュー・バウハウスで写真教育を受けた写真家、石元泰博の教授陣への招聘も教育方針に少なからぬ影響を与えた。バウハウスの重要なマイスターの一人で、アメリカに亡命してニュー・バウハウスを創設したモホイ=ナジの名を冠した賞を在学時に受賞した石元は、バウハウスの教育理念を本校に伝えた。さらに、気鋭の写真評論家でもあった重森ならではの、自らの作品に対する「批評性」を写真家に問う姿勢と一緒になって独自の教育が打ち立てられ、ここに集った学生たちから日本の写真表現を担う写真家達が数多く巣立っていったのである。


バウハウスは、建築やデザインに留まらず、写真の革新運動の拠点の一つでもあった。1923年にモホイ=ナジが着任して以降、バウハウスには写真への熱狂が生まれ、教師と学生の両方を巻き込んで、既成概念を打ち破る斬新な写真の実験が繰り広げられた。実験精神こそは、バウハウスの写真の推進力であった。その動向は戦前の日本でも紹介され、当時の先進的な写真家に注目された。


東京綜合写真専門学校は、2019年、バウハウス開校100周年の好機に、「バウハウスへのまなざし」と名付けた本校出身の写真家7人による展覧会を開催する。そのまなざしは、ヴァイマール、デッサウのバウハウスの歴史的建造物を捉えた記録とバウハウスで繰り広げられた写真の精神に連ならんとする実験的作品の二つのパートからなる。一階ギャラリーでは、同校校長の伊奈英次が、1999年にヴァイマール、デッサウを訪れて、バウハウスの歴史的な建築を正面から捉えた貴重な写真群によりバウハウスの事跡を辿る。四階ギャラリーでは、伊奈を含めた本校出身の下記の7人の作家による作品を紹介する。


青木大祐、伊奈英次、倉谷拓朴、相模智之、新藤環、竹下修平、原美樹子


総合と実験というバウハウスの精神を写真教育に取り入れたユニークな写真学校、東京綜合写真専門学校設立60周年に際して、バウハウス開校100周年に連帯する写真展である。


(ふかがわ まさふみ キュレーター/クリティック)


【展覧会情報】

展覧会名: バウハウスへの眼差しーEXPERIMENTSー

会期: 2019年10月21日(月)- 11月22日(金)


●東京綜合写真専門学校

〒223-0051 神奈川県横浜市港北区箕輪町2-2-32



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