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essay「サルガドー写真の大地性」

1993年1月1日 発行


「現代の眼」458号 東京国立近代美術館ニュース 1993年1月号 pp.3-4


執筆  深川雅文

本論は、東京国立近代美術館で開催された「セバスチャン・サルガド:人間の大地」展(1993年1月5日- 2月14日)に寄せて東京国立近代美術館ニュース458号(1993年1月号 pp.3-4)に執筆・掲載されたものである。(東京国立近代美術館『現代の眼』についてはこちら)

 

サルガドー写真の大地性  深川雅文


 一九九〇年八月のイラク軍クウェート侵攻に端を発した湾岸戦争が起こったのは、つい二年前のこと。しかし、私たちの記憶にあるこの戦争のイメージは、なにか希薄な感じがしまいか。戦闘の様子は、ビデオ映像で昼夜流されていたにもかかわらずである。ミサイルの眼となったビデオカメラが目標へ到達するまでに送ってきた映像は鮮烈だった。だが、それはまるでコンピューターゲームの一場面のように見え、戦争のリアリティがどれだけ伝えられたのか疑問である。戦争報道で写真が主役を努めてきた時代は長いが、ここでは写真は脇役においやられた感が強い。一体、写真はこうした場面で役目を失ってしまったのだろうか、と考えさせられもした。

 ところが、どっこい、戦後まもなくして、この戦闘にまつわるひとつの優れた写真ドキュメントが、ニューヨーク・タイムズ・マガジン(九十一年六月九日号)で発表された。題して「クウェートの地獄」、写真家の名はセバスチャン・サルガド。湾岸戦争が終に向かうと、血迷ったイラク軍は撤退の際に油井のバルブを開け、ペルシア湾岸に流出させ、それに火を放った。七百本を越す炎の柱が燃え上がり、一日三百万バレルともいわれる石油が煙と消えた。被害は甚大で、早速、特別消火隊が派遣され、鎮火作業にあたった。この記録には、地獄さながらの土地の表情、油にまみれながら必死で作業に取り組む人間の姿、飛べなくなった鳥の姿、そして油井のそばに置き去りにされたイラク兵の屍の光景などが、捉えられている。

 このフォトエッセイは、私にとって、あの戦争に関する最もリアリティのある映像となって記憶に突き刺さった。ミサイルの映像は、断片的であり、表層的である。刺激的ではあるが、そこからこの戦争に関するなにかあるひとつの全体像を紡ぎ出すことは難しい。それに対し、サルガドの記録は、戦闘のありさまを扱ったものではないが、湾岸戦争の実像を描き出す思考回路を開いてくれる......イラクの政治的・経済的野望、クウェートの国家像、石油燃料が現代文明においてもつ意味、自然環境と経済の問題、災禍を引き起こす人間の欲望、そして災禍から回復させようとする人間の勇気と叡智......。サルガドは、自分の写真の姿勢として、写される者や出来事との一体感を常々語っているが、これこそがサルガドの写真の質感と、ミサイルの映像の質感と決定的に隔てているものである。前者には、紛れもなく、写される人々や物事と同じ空気を吸い、共に生きている人間としてのまなざしに捉えられた濃密な時間が浸透している。見るものの心に響く写真のリアリティの源泉は、こうした世界への精神的・身体的な投企と合一にあるのである。

 サルガドは今年、写真家歴二十年を迎える。経済学者から写真家へと転身した希有なドキュメンタリストが最初に手掛けた仕事は、スーダン、エチオピア、マリの深刻な飢餓に襲われた人々と干害の状況の記録である。七十三年に始められたこの記録は、その後も断続的に続けられ、八十六年に写真集『サエルー困窮した人間』にまとめられた。彼が、カメラを手に訪れた国はすでに六十ヵ国を超える。なかでも彼を国際的に有名にしたのは、経済的、社会的に問題を抱えたアフリカ、南米そして東南アジアの国々など、現代の困窮した状況下における人間の生き様を捉えた一連の作品群である。

 こうした地域における写真は、たしかに、彼以外の写真家によっても撮られてはいる。しかし、サルガドの写真は通りいっぺんの記録写真とはどこか違った輝きをもって見るものを圧倒する。それはなぜなのか。彼が写真の道に入っていった七十年代初頭、今世紀のフォトジャーナリズムの精華というべき『ライフ』誌はまさに命脈を閉じようとしていた。実際には、フォトジャーナリズムが社会的使命や理念の名のもとに社会にたいして有効に機能しえたよき時代の崩壊は、ライフ的人間主義への捧げ物とでもいうべき写真展「人間家族展」(一九五五)の直後にすでに露呈される。「アメリカ人」(一九五八)をひっさげて登場したロバート・フランクからフリードランダーやアーバスへと向かうアメリカのドキュメントの一連の展開は、大時代的理念や使命に縛られた写真とは一線を画する、写真によるヒューマニティへの新たな問いかけであり写真の文法の実験であったといえよう。

 サルガドの写真は、世界を肯定的に受け止める点でライフ的ジャーナリズムの伝統に連なりながら、その世界を、お決まりの人道主義や平和主義などメディアの揚げる理念や信念によりかかって受け止めるのではなく、あくまでも作家個人の強靱な世界観と信念でもってひとりでがっしりと受け止めている点で新たな地平を切り開いた。さらに、フランクやアーバスなどアメリカの写真の革新者たち(あるいはスミスなど)とも決定的に違うのは、彼が西欧の血を受け継ぎながらもブラジルに生まれ育ち、異なる文化的風土に身を置いていることにある。このことは、彼に独自の視点を可能にした。西欧近代主義を視野におさめつつも、それと距離を置いたところで、いわゆる第三世界に生まれた人間としてのグローバルな地点から、人間存在のありかたをその基底から見つめるという態度である。

 こうした姿勢は、現在進行中の「労働者」のシリーズで、新たな展開を見せようとしている。これは、手仕事を中心とした労働の実態を踏査したもので、八十年代後半に始められた。ソ連の製鉄工場、キューバのサトウキビの収穫、中国の綿花農場、そしてあの有名なブラジルのセラ・ペラダ金山の鉱山労働者たちの写真などからなる。「十~十五年もたてば、こられの写真は歴史の産物になるだろう。今、世界中に、逆戻りすることのできないプロセスが進行している。しかも、予想を上回るスピードで。」(サルガド)

 このシリーズには、ドーバー海峡縦断トンネルの建設現場の写真(一九九〇)も入っている。ところで、本トンネルの建設に伴い、北フランスの公的な写真機関、ノール・パ・ド・カレ地域写真センターは、ドーバー海峡縦断写真記録プロジェトを実施し、写真家にこの地域の環境アセスメントとして記録を委嘱してきた。その中には、同じマグナムのメンバーでサルガドの同僚クーデルカもいる。この事業の最新の成果は、アメリカのルイス・ボルツによるものである。それは、『夜警』という題名で九十二年の三月にポンピドゥーセンターで発表され、日本でも昨年、展覧の機会があった。同時期に、現代を代表する同年代の作家二人が、ユーロ・トンネルに関わっていたわけである。

 サルガドの写真は、現代建築技術の粋をつくして建設されているトンネル内の現場の人夫たちの作業風景である。計画の規模と未来的なビジョンに反して、現場の労働は相変わらず人々の肉体が支えている。円形の巨大な掘削機のカッターヘッドにヘばりついた小さな人間の写真は、時代は違うが、ルイス・ハインが半世紀以上前に撮った機械労働者の写真を彷彿とさせる。ハイテクなものの中におけるローテクなものの境位、その根源性、存在感といったものに眼が向けられている。一方、ボルツの巨大なカラー作品は、トンネル工事そのものを題材にしたものではないがトンネル建設の進展とともに変わり行く地域の様子を捉えている。その主なモチーフとなっているのはこの地域のある街に防犯のために公に設置されたハイテクを駆使した監視システムのモニターに写し出されたビデオカメラ映像である。彼は、その作品で、ハイテクが浸透しつつある社会が抱える奇妙な光景を現代文明が直面しようとしている問題領域として浮かび上がらせるのに成功している。

 この二つの作品の質感と世界に対する姿勢の違いは明瞭である。「夜警」の放つ、無機的なイメージからは、我々は未来に対してなにも希望がもてないかのようだ。そこから、世界の全体像を描き出すことなど、あらかじめ拒絶されている。これは映像における一種のニヒリズムとでもいえよう。サルガドの写真はどうだ。そこには、将来消え去ることになるかもしれない手による労働を人間的な生産活動の基盤としてとらえ、人間の根源的な存在を規定してきたものとして確認しておきたいという強力な意志が働いている。そうして、ハイテクが生活にしのびこみ世界を分裂状態に陥れる前の、源初的な世界像を全体として描き出そうとしているのである。

 テレビやビデオ、コンピュータの映像が浸透した社会に住む現代人は、奇妙なことに、その映像によって世界への通路を閉ざされ、世界の全体的な像を喪失するという分裂症的な状況におかれる危険に晒されている。サルガドの作品群は、そうした分裂を治癒し、私たちが生きる世界の全体像を蘇生させるための認識回路に働きかけてくる。写真のこうした力を、写真の大地性と呼ぶことができるのではないだろうか。サルガドの現代的意義はそうした写真の可能性の中心を指し示しているところにあると私には思われるのである。

(川崎市市民ミュージアム学芸員)


 

【展覧会情報】

展覧会名: 「セバスチャン・サルガド:人間の大地」

会期: 1993年1月5日-2月14日

会場: 東京国立近代美術館

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