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review「地球へのギフト」スナックその

2018年5月2日


執筆  深川雅文


メディア・プラスティークの可能性

“スナックその”という作家ユニット名は不思議だ。その名は昭和らしさを匂わせる。が、メンバーの二人(元紀と優)は、その昭和の最後の打ち上げ花火となったバブル期を遠目に見ていたというミレニアル世代に属するという。名前も気にかかり、初めて作品を見るということもあり、《地球へのギフト》という何ともとぼけたタイトルも相まって、気持ちの糸が絡み合っていたのだが、space dikeの扉を開くと、そのような思念は飛び散り、一気に彼らの作品《地球へのギフト》の世界に引き込まれることになった。

作品は、ビデオのプロジェクション、写真と絵画によって構成された空間である。これらのいくつかのメディアが、ギャラリーの空間を活かしながら配置されている。写真は街角で発見され、気になったモノや肌理のある壁面などをシンプルな構図で捉えたものが多く、その写真とディプティック的な配置で、白地に断片的に模様のように様々なモノや模様が描かれた絵画が寄り添っていたりする。その傍らにスクリーンが設置されて映像の作品が投影されていた。二階には映像だけを上映するスペースがあり、そこでも映像作品がいくつか投影されていた。これらそれぞれのメディアが、それぞれに自己主張し、調和することに抗いながらも、全体としての一つの纏まり感もあり、異なる素材を空間に散りばめた一種の「コラージュ」的な空間となって見る人を惹く引力を発生していたのは特筆すべきであろう。

それぞれのメディアの緊張と融和の関係の中でも、サイズ的に大きく、また動画の投影ということで、ビデオは、その磁場の中心となっていた。その映像は、写真と同様に、作家が発見した、身近な日常にある風景や出来事を日記風に綴った映像が多い。ふと笑ってしまう光景がいくつもあった。航空管制に関わる労働者が作業に伴って見せる不思議な仕草、ゴミ捨て場に吹く風で回る扇風機、共同体の祭りの光景などなど…。映像は、こうした個別の映像の投影にとどまらず、スクリーンの一部だけに映されたり、また、その位置を変えたり、また、複数の映像がスクリーン上に割り当てられた場所に同時に流れたりする。さらに、映像の上に、CGで制作されたイメージが突然現れて消えたり、または、複数の映像が完全に多重露光となるのではなく、部分的に重ね合わされたりと、展示されている写真と絵画の間で見られたイメージの交換と同じ効果が映像の上でも試みられる( また、それぞれの映像に付随した日常的な「音」の要素もコラージュ的に作用していたことも言い添えておきたい )。展示に関する「コラージュ」性を指摘したが、その映像作品の中でも、同様のことが展開されている。実際の展示のコラージュ性が、映像でのそれと連動し、陸続きとなって広がることで、作品の空間は、実際のそう広くはない展示空間を超える拡大を見せる。そのイメージの数珠繋ぎ的な展開の速さと振幅の心地よさにより、私は我を忘れてしまった。

というジムナスティックな視覚体験を楽しむ一方で、体験が進むにつれ、作品全体が意識に浮上させようとする世界像のようなものも次第にちらついてきた。「猿」がいた。映像の中に。その猿の仕草が、空港で飛行機の誘導の仕事に携わる人間の仕草と重なって見えた瞬間があった。猿と人間、その差は何なのか? 幾度も問いかけられた問いである。本展の企画者、調文明の言葉が、展示場の入口の扉に貼られていた。「ズレとは分離である ズレとは増殖である ズレとは不信である…(以下、略)」まさにこのズレ=差こそが、猿と人間を分けているのではないか? という想念の中で、あの映像が否応がなく脳裡に流れてきた。

キューブリックの「2001年 宇宙の旅」(1968年)の冒頭のチャプター「人類の夜明け」である。猿人から人への差異を生んだのはモノリスだった。モノリスに触れた猿は、知恵の実を食したアダムとイヴのように、ズレを覚え、自らの外に世界を拡張する。そして、そのために決定的な役割を果たす「道具」=「メディア」を手にしたのだ。映画の中で、動物をそして人を叩くための「骨」という道具は、宇宙ロケットに姿を変え、私たちの生活で言えば「iPhone」へと変わるのだろう。ひょっとしたら、モノリスは、地球へのギフトではなかったのか? 《地球へのギフト》は、私にこのような連想を引き起こした。突飛に思われるかもしれないこの連想は、しかし、ひょっとしたら無茶苦茶ではないのかもしれない。展示室の置いてあった展覧会のDMを、帰りがけの地下鉄の車両の中で見た。すると、その真ん中に「猿」のイメージが…。

「コラージュ」的という言葉を使ったが、この言葉はもう少し詰める必要がある。この展示で強く感じたこのコラージュ的性格は、実は、近年、体験してきたいくつかの注目すべき作品にも通底していると思うからである。例えば、三田村光土里がレジデンスで制作してきた作品群、あるいは、写真ユニット、spewが繰り広げるマルチメディアルな展示空間。“インスタレーション”という言葉では、あまりにも意味が薄く、その本質を捉えることはできない。“コラージュ”、“アッサンブラージュ”など美術史に刻まれた言葉は歴史的な色合いが強すぎるかもしれない。同じような手法でありながら、結局は一般的な名前として残らなかった、ラースロー・モホイ=ナジが自らのフォトコラージュについて付けた言葉 “フォトプラスティーク” (写真による造形)は、一つのヒントになるのかもしれない。絵画、グラフィック、写真、映画、映像、立体、オブジェ、言葉、テクスト、音、サウンド、ノイズ、こうした数多のメディアを総合的に組み合わせた表現体を、試しに「メディア・プラスティーク」と名付けてみようか。《地球へのプレゼント》は、紛うことなき「メディア・プラスティーク」であった。

スナックそのの作品がどのように成長するのか、今後の展開が楽しみである。


(ふかがわ まさふみ キュレーター / クリティック)






展覧会「スナックその『地球へのギフト』」

2018年 4/21,22,28,29,30 (5日間) @space dike 東京都 台東区日本堤2-18-4

Review: exhibition “Gift for the earth” by Snack SONO(Genki & Yuu) 4/21,22,28,29,30 (5days) 2018        @space dike, Tokyo


スナックその 公式ウェブサイト

The Official Website of Snack SONO

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