2018年6月16日
執筆 深川雅文
フェイクなイメージをシェイク
2016年12月11日に訪ねたグループ展「写真の地平」(企画: 長沼宏昌 @ HIGURE 17-15 cas)で出会った半田晴子の作品について、筆者のFB(https://www.facebook.com/fukagawama)で(2017年12月11日)取り上げた。その半田の個展《after FRONT》が開催中である。グループ展での展示の一部に『FRONT』を取り上げた作品があったのだが、今回は、それを中心とした展覧会である。HIGUREでの半田の展示について記した文章を部分的に引用しておきたい。
「帝国日本のプロパガンダ用グラフ雑誌『FRONT』は、当時のグラフィズムの急先鋒であった革命ソビエトのプロパガンダ誌『U.S.S.R. in Construction』に多くを学びながら、日本軍の強靭さをヒロイックに視覚化して欧米列強にアピールした。そのなかに、大判サイズの雑誌の見開き全体に日本軍の戦車が群れとなって進軍する様子を視覚化したページがある。そこには、強大な戦車軍団の存在をこれ見よがしに見せつける意図があった。ところが、そのページは、後に、数台の戦車の車列の写真の巧妙なリピティションであることが判明している。撮影したのは濱谷浩であった。濱谷は、自らの写真が虚偽に使われることに堪えられず、所属していた会社を辞し、戦時写真の花型であったグラフジャーナリズムに背を向け、ひっそりと越後の雪国へと向かった。その旅は、傑作『雪国』へと結晶した。
半田に訊ねた。この繰り返しは?満州にいた半田の父が持ち帰ったもののなかに当時、現地で発行されたグラフ雑誌がありそのなかに写真を反復して使っているものがあって興味を引かれた、と。この操作によって、半田の展示は、かつての帝国日本の捻じれた時空にタイムスリップしながら現代に舞い戻って来るというアクロバティックな軌跡を描いて見せた。そこには、日本のかつての近代化の軋み音とともに近代化の残滓が今も沸々と音をたてて息づいているというビジョンが浮かんでいた。」
今回の展示では、作品のサイズも大きくなり、点数も増え、その分、『FRONT』の作品への作家の操作とその効果がより明確に伝わってきた。
国家的意志に貫かれて構成されたいわば不可侵のイメージが、時間の隔たりの中で、デジタルの魔手に侵食され、かつてのメッセージの余韻を響かせながらも、やをら粛々と崩壊していく。とはいえ、元となる『FRONT』のイメージは写真もデザインも当時の最高最強のイメージメーキング力で形作られているために、容易には壊れない。部分的なイメージのリピティションにより、揺らぎが生まれながら、全体のイメージが崩落していく。それが何か心地よい感覚を与える不思議さがある。もともとフェイクなイメージをシェイクさせる半田のオペレーションは、いわば、ヒップホップにおけるレコードのスクラッチノイズの繰り返しに近いものに思われる。そのノイズの入り方が絶妙で快感となる。そこは、ギャラリーの実際の展示でしか体感できない部分がはるかに多い。
会場の様子を記録映像でご覧いただきたい。
(ふかがわ まさふみ キュレーター / クリティック)
展覧会情報
《after FRONT》by 半田晴子 2018年 5月27日( 日 ) – 2018年 6月18日( 月 ) Art Trace Gallery
〒130-0021 東京都墨田区緑 2-13-19 秋山ビル1F
Review: exhibition “after FRONT” by Haruko Handa 2018 27/5 - 18/6 Art Trace Gallery, Tokyo
Comments