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essay: 「夜警」を超えて

2016年11月


執筆  深川雅文

(リフレクション写真展2016・パンフレットより)


 風景は、写真史のなかでも肖像と同じくらいに重要な領域であった。その風景写真は、21世紀を目前にした1990年頃を前後して、大きな転換点に直面したように思われる。風景写真が捉える「場」の意味がその頃を境に大きく変質していった形跡が見られるようになったのである。かつて、風景写真は、撮影した場所と地名にしっかりと結びついていた。岡田紅陽の「富士山」の風景写真、アンセル・アダムスの「ヨセミテ渓谷」の写真…モダニズムの写真美学に反旗を翻したルイス・ボルツの奇妙な風景写真、また、テイストは異なるがベッヒャー夫妻の「産業構造物」やトーマス・シュトルートやアンドレアス・グルスキーなどその弟子たちが捉えた風景の写真ですらも例外ではなかった。1989年のベルリンの壁崩壊とそれ以降の社会状況、そしてデジタルネットワークの進展は、理想の世界であれ、黙示録的な世界であれ、ある地点に向かって発展、展開するものであるという近代的な歴史の概念を解消してしまい、歴史性に結びついた「場所」という概念は大きく揺さぶられることになった。そこに歴史性から脱却した「場所」の概念が生まれてきた。歴史的な意味をはぎ取られた"中性的で無差別的な場"と形容できるような「場所」である。それは、インターネット関連で語られる「サイト」という概念に収斂するような「場」でもある。  こうした新たな時代の変容に敏感に反応した写真家の一人が、西欧文明の行き着いた果ての殺伐たる黙示録的風景の追跡者として1980年代初頭からその末まで「パーク・シティ」「サン・クエンティンポイント」「キャンドルスティックポイント」と立て続けに発表して国際的な名声を得た、1970年代に姿を現した風景写真の革新の旗手、ルイス・ボルツであった。ところが、彼は、90年代に入ると、自らが推し進めてきた黙示録的な風景写真に突然、別れを告げるような問題作を発表し、波紋を呼んだ。1992年に、ポンピドーセンターで発表した「夜警」である。高さ約2メートル、幅約1メートルのカラーのパネル状の作品が12点繋ぎあわされた作品で、そこには、都市を監視するカメラからのビデオ画像を軸にして、ハイテクを象徴する光ファイバーケーブルの塊やスパコンの外観や基盤の写真がインサートされていた。犯罪抑止を目的にフランスのある都市に導入された監視システムをテーマにしたこの作品は、ボルツのそれまでの精緻な風景写真のイメージとの連続性は断ち切られており、当時の多くの評論家は戸惑いを隠せなかった。激しく震撼する歴史意識の変貌と高度技術が浸透する社会のダイナミズムを直感し、ボルツの中には大きな変化が生まれていた。彼は語っている。  「…1988年になると、私は、技術と流浪の民というふたつの現象に心惹かれた。このふたつは、互いに関係し合い、世界の消滅というものに与っているように思えたのである。…1980年代の私の仕事は、黙示録的な含蓄をもっていた。1990年になると、世界はある意味で終わってしまったように思われた。1992年になると、私は、自分自身が世界を自由に行き来する流浪の民になっていることを自覚した。…」(1)  ここでボルツが触れている「流浪の民」とは、次のようなものである。技術革新が可能にした高度な情報処理装置と通信装置、そして飛行機などの高速移動機関を巧みに操り、利用しながら、ボーダーレスとなり文字通りグローバル化した世界を自由に駆け巡る人々のことである。彼らにとって、もはや特定の地域や土地はかつての意味よりも、高度技術によって産み出され、国境を超えて広がる均質的な空間が優位にたち、さらに、膨大な情報が無差別的に溢れかえる仮想空間が、活動の場として無限に広がっている。ボルツの大きなターニングポイントとなったこの時期、インターネットは産声をあげたばかりで、パソコンの普及もまだこれからであり、もちろんスマートフォンの普及は先のことで今日の状況とは全く異なるが、ボルツは来るべき時代の特質をしっかりと見据えていたようである。場所の意味の均質化あるいはニュートラル化へと向かう時代の潮流を敏感に感じかつ重く受け止め、それまでの世界観を墨守することを否定したボルツにとって、歴史的に特別な意味をもった場所としての風景を撮り続けることはもはやできなかったのだと思われる。  ボルツの言う世界の終わり、あるいは世界の消滅とは何を意味していたのだろうか?そして、その後にどういう世界が来ると考えていたのだろうか?  「黙示録は終わった。現在あるものは中性の先行であり、中性と無差別的な形態の先行だ(略)…残ったものは、と言えば、それは索漠とし、無差別的な形態やわれわれを破棄しようとするシステム自体の操作にかかわる魅惑だ。その魅惑とは、このうえもなくニヒルな情熱であり、それは消滅世界特有の情熱でもある。…」(2)  これは、フランスの哲学者、ジャン・ボードリヤールが現代の新たなニヒリズムの到来について論じたテクストの一節である。ボルツの作品の急変と彼自身の言葉を重ね合わせてみると、ボードリヤールの主張はボルツが至った心境をパラフレーズしているようにも聞こえる。1992年に発表されたボルツの作品「夜警」は、ボードリヤールが示した中性的なものが支配する世界像の表出であるとともに、グローバル・コミュニケーションの時代の到来とともに人類が直面せざるをえない世界観の変質を予兆的に投げかけた問題作であったと言えよう。  ところで、「夜警」発表からほぼ四半世紀を経過し、ボルツが一昨年に他界した現在でも、今日の風景の写真について考えようとするとき、彼の"転回"は多くの示唆を含んでいると思われる。その後、1990年代半ばから加速するパソコンとインターネットの浸透、さらに2007年に発売されたiPhoneを嚆矢とするスマートフォンの普及、人口知能を始めとしたデジタルテクノロジーのさらなる発展と社会化が画期的に進んだ今日においても、いや、そうした時代だからこそ、風景写真の現在を見つめるための始点としてこの作品を置いてみることは有効であろう。  ボルツが見ていた"中性的な場所"の概念は、テクノロジーの進展と社会のニーズに合わせて、怪物的に膨れ上がったと言ってもいいのかもしれない。ひとつは、グーグルマップによる世界のデジタル・マッピングの完成がある。地球上のすべての地点が、衛星からの視点でカメラで無差別的に捉えられてマッピングされ、さらに誰でも簡単にその場所の地図的、地形的な情報を瞬時に獲得できるようになった。加えて、グーグルは、地上での目線で車載カメラでさまざまな角度から捉えたストリートビューを提供し、世界の主要な都市の風景の最大のサプライヤーとなった。グーグルのマップは、まさに、場所の情報を無差別的にシステム化することへの"ニヒルな情熱"がもたらした成果にほかならない。もうひとつは、ボルツ自身、「夜警」においてテーマとした監視カメラによる場所の光景の間断なき収集のシステムの完成である。ボルツが当時取り上げたフランスの都市では、その導入の際に、プライバシーの侵害の恐れがあるとして反対運動もあったというが、その地域の高い犯罪率とその抑止のための監視の有用性という論理が勝り導入されたという。いまや、そうした議論の余地はほとんどないと断言してもいい状況である。ひとびとが生活するほとんどあらゆる場所に、公共的な場所のみでなく商業施設や産業施設ならびにビル・住宅といったほとんど全ての在所に監視カメラが眼を光らせており、一年中、間断なくカメラの前の光景を淡々と記録し続けている。いったん事件や事故などが起こると、事実はかくかくしかじかでしたという証拠付けのためにその光景は取り出されて提示されるが、何もない場合も常に記録され続けている。監視カメラが日常化した世界を私たちは生きており、私たちはすでにそのことに馴化されてしまっている。衛星のカメラそして監視カメラが自動的、機械的に捉えるがゆえに中性的な場所の映像として理解され、利用される。いわば、無意識の茫漠たる海に広がる風景のアーカイブなのである。おそらく、風景を意識的に捉えようとする現代の写真家たちは、自らが眼の前にする風景とともに、徹底した中性化とフラット化が紡ぎ上げた、いわば"風景の墓場"とも戦わなければならないのだ。  5年前の2011年の3月11日に起きた東日本大震災は、福島原発のメルトダウンも伴い、近年稀に見る災禍となって甚大な損害をもたらし、日本はもとより世界の人々に大きな衝撃を与えた。この災害は、この地域にゆかりのある写真家にとっては当然のこと、そうでない写真家にとっても大きな衝撃を与え、国内外の多くの写真家が被爆の危険性を知りながらも現地に赴き被災の風景を撮影してきた。それは、久しく忘却されていた「場所」への歴史的意識をあらためて喚起せざるをえない強烈な出来事であったと言えよう。とはいえ、それが風景写真の流れにおいて、その後、大きな展開を見せたとは必ずしも言い難い。というのは、今日のメディアは、歴史的場所の意味をあっという間に消費し尽くし、現在から切り離してしまうからである。3.11そして9.11といった歴史的出来事も、いわば"情報"として無差別的に瞬時に中性化されてしまう。こうした"世界の中性化"の潮流にカウンターパンチを浴びせることが、アートにとってより重要になっていると思われる。そして、写真は、これまでのように、そしてこれからもその先兵に立つことができるはずである。  1960年代、伝統的な風景写真への異議申し立てを行ったアメリカの写真家・キュレーターのネイサン・ライオンズの言葉は今も傾聴に値する。彼は、『コンテンポラリー・フォトグラファーズー社会的景観に向かって』(3)の序文で、風景をある絶対的な存在として措定するのではなく、「”人間と人間、そして人間と自然との関わりといった相互連関”を内実としたもの」として捉えるという視座を提示した。言い換えれば、風景をある人間的な関係を指し示す外観として捉えようというのである。そして、そのような外観を、断定ではなくいわばひとつの「問い」として提示することによって、写真は単なる叙述や美的表象の機能を超えて、それを見る人間の世界像にまで達する作用の深まりを獲得することができるという、写真へのビジョンが差し出されていた。写真家が捉えるべき”相互連関”の内容は、今日、さらに複雑化し、自然や風土に加え、例えば、環境、情報、メディア、テクノロジーといった要素を加える必要があるにしても、人間的関係に基づく外観のビジョンを「問い」として提示するという精神は、風景の中性化への圧力がこの上なく高まっている現代であればなおさら、写真家の実践を待っているのではないか。  今回の「Reflections」展に参加する三人の作家、寺崎珠美 丸山慶子 若山忠毅の作品には、そうした再び来るべき写真家の魂が宿っているように感じられるのである。


(ふかがわ まさふみ 川崎市市民ミュージアム学芸員〔当時〕)


(1)"LEWIS BALTZ OPERE/PROGETTI 1991-1992", published by Civi Musei - Sale "San Francisco", Emilia, Italy, 1992

(2)ジャン・ボードリヤール 『シミュラークルとシミュレーション』(叢書・ウニベルシタス) 竹原あき子訳、法政大学出版局、1984年 198-199ページ

(3)"Contemporary Photographers - Towards a Social Landscape" (edited by Nathan Lyons), published by Horizon Press, The George Eastman House, Rochester, New York, 1966


掲載

リフレクション写真展2016・パンフレット(2016年 東京) 展覧会: リフレクション写真展2016(企画: 湊 雅博) 

会期: 2016.11/7 - 11/19 展示作家: 寺崎珠真、丸山慶子、若山忠毅


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