review「安西剛展 カゲノカゲノカゲ」

最終更新: 6月25日

2018年2月26日


執筆  深川雅文


カメラ・オブスクラの暴走


安西剛の展覧会「カゲノカゲノカゲ」が、埼玉県大宮市のプラザノースで開催されている(2018年2月18日~3月11日)。安西の仕事を国内でまとめて見る機会は、2013年の川崎市市民ミュージアムで安西が参加したグループ展「新世代アーティスト展 in Kawasaki: セカイがハンテンし、テイク」以来である。それから5年を経て、海外の諸都市でのレジデンス等で自らの作品と思考を鍛錬してきた作り上げた新たな成果をこの展覧会で見ることができる。全部で8つの異なった種類の作品が展示されている。展覧会を訪れて会場を歩くうちに、その作品群に触発されたのだろう、次のような言葉が浮かんできた。


世界から切り離された人間というものは存在しない。人間は、常に、すでに、世界との関わりの中に生きている、世界の中に存在している「世界内存在」である。では、人間は世界とどのようにして関わるのであろうか。こう問いかけるとき、人間と世界を媒介するもの(=メディア)の問題が重要になってくる。今日、世界との関わりを媒介するもの(=メディア)として、インターネットのインフラとiPhone(スマートフォン)という究極のマルチメディアデバイスの普及が加速度的に進んだ結果、「世界内存在」が限りなく「ネット内存在」に近づきつつある状況を迎えている。ポスト-インターネットの時代の一つの特徴は、こうした世界の拡大かつ萎縮という異常な現象が進行していることにあるのかもしれない。安西の作品は、こうした機能不全化を見せているポスト-インターネットのメディア状況を解剖し、そうしたメディア風景を立ち上げさせる起点となりうる力を有しているように思われる。


8つの作品は、それぞれに語るべき興味深いポイントを示しているが、中でも、冒頭に現れる、distanceという作品が、展示全体の大きなコンテクストを形作っていた。上の言葉もそこから強いインパクトを受けて浮上することになった。ここでは、最重要作品と思われたdistanceについて触れておこう。


展示場に入って最初の空間に設置されたdistanceというタイトルの作品である。安西が川崎での展覧会でも展開していた、100均などで手に入る日用品をモーターライズした仕掛けでキネティック・スカルプチャー化した不思議なマシーンの動く姿が、直方体の箱の中からその前に置かれたスクリーンに投影されており、同様にしてスクリーン付きの箱が並べられたインスタレーションである。安西は、この装置を「New Video Player」と名付けているが、原理としてはすべての映像の原点であるカメラ・オブスクラを踏襲している。


とはいえ、これは単なるカメラ・オブスクラではない。カメラ・オブスクラ=暗箱の中に、キネティック・スカルプチャーが閉じ込められており、その中を強烈な発光装置を使って明るく照らし出すことで、そのスカラプチャーの映像が外に設置されたスクリーンに向けて映写されるのである。つまり、カメラ・オブスクラと思わせるその箱の装置は、実は、カメラ・ルシーダ(明るい箱)なのだ。このカメラ・ルシーダは、外界を模写する装置として世紀に考案された歴史的な遺物であるカメラ・ルシーダとは異なる。その器具は、タルボットが、湖の写生に使ってみて、貧弱な出来栄えに満足できずに写真へと走らせることになった。メディアの歴史の中で、安西が展示したこのような映像装置があったのかどうかは確認しなければならないが、このプロジェクター装置による展示は類なきもので刮目に値する。


展示空間で見ることができるのはスクリーンに動きを伴って映し出される不可思議なオブジェ(モノ)のカゲである。それは、その箱の中に入っている何物かを元にして映し出されたモノカゲであるが、その元となるモノについては見ることができない。そのモノは、ブラックボックス化されている(その箱の中身は明るい光に満ちているにもかかわらず)。その現象を見ていくうちに、私には、プラトンの洞窟の比喩が思い起こされた。それは、真理あるいは真実に対する人間の理解と認識の仕方を比喩的に描いたものだった。約めて言うと、真理は光に溢れ、人間には直視できない。人は洞窟の中で、その奥の壁面を見るように仕向けられた存在で、その光により投影されたモノのカゲを見ることしかできず、それを世界のあり方として受け止めるが、それはあくまでも仮象にすぎない、という話であった。


我々が、それらのスクリーン上に見ているものは何なのか?その元となるモノが見えないとしたら、それが何であるとも、何でない、とも言えない何物かとしか言えない。しかし、目に見えるものは真実らしいと思いなせば、スクリーン上の映像はたとえカゲであれ真実のように見えてくるだろう。とすると、投影されたスクリーンが、我々の世界の限界を指し示してくるだろう。我々は、そういう思いなしをして、果たしていいのか? ここから、しばし空想に文を委ねたい。iPhoneの内側から光が照らし出されるモニターの画面は、ひょっとしたら、安西の投影システムにおけるスクリーンの位置を占め始めているのではないのか?画像もテクストもすべてがそのスクリーンの上に内側から照らし出される姿からすると、iPhoneは、実は、安西がdistanceで作り出した装置に見られるのと同じ意味で「カメラ・ルシーダ」と考えてもいいのでないだろうか?


ポスト・インターネットの地平に浮かぶiPhoneは、それまでのあらゆるメディアを集約し、切断した究極のメディアの形かもしれない。しかし、そこにすでに、メディアの機能不全が支配的になっていることは、多くの人が感じていることだろう。フェイクニュース、フェイクイメージ、フェイクワールド…メディアのフェイクを打ち破る新たなメディアが到来するかどうか、あるいは、到来する前にAIの全能によってすべてのメディアが支配され、それを使う人間(ホモ・メディアーリス)も支配されてしまうのか…光に溢れる白昼夢が映し出されるモニター上のスクリーンの世界が我々の世界の限界となり、我々を取り囲むのか? カメラ・オブスクラの暴走をどう受け止めるのか?


安西のdistanceは、こうした不埒な問いと妄想を掻き立てる不穏な、しかし希望のメディアだ。メディアの機能不全を破るための閃光が放たれているように思われるからである。


(ふかがわ まさふみ キュレーター / クリティック)


展覧会名 安西剛展 カゲノカゲノカゲ 会期:2018年2月18日-3月11日 会場:さいたま市 プラザノース ノースギャラリー4~7 住所:さいたま市北区宮原町 1-852-1 電話番号:048-653-9255 開館時間:10:00~17:00 休館日:3/11まで無休

Tsuyoshi Anzai Exhibition: Shadows cast Shadows 18/02 - 11/03 @Saitama City Plaza North


安西剛公式ウェブサイト

The Official Website of Tsuyoshi Anzai

http://an2ai.net/


美術手帖ウェブ版での紹介は下記 https://bijutsutecho.com/news/10532/


作品"distance#003-5"

https://vimeo.com/227992534

  • Curation / Criticism
  • ブラックTwitterのアイコン
  • fukagawa masafumi instagram

© 2020 masafumi fukagawa 深川雅文