essay「風景の死 / 写真のアナーキズム」金村修 論

最終更新: 2019年12月18日

企画展 「現代写真の母型 1999」

場所  川崎市市民ミュージアム

会期  6/1/1999 - 7/11/1999

●展示解説 Part 1.


金村修

BLACK PARACHUTE EARS 1991-1999

風景の死 / 写真のアナーキズム


 サイレンが鳴る。緊急事態の発生だ。何だ。金村修の写真だ。 モノの価値が、秩序が、社会的風景をなりたたせているかに見えたなにものかが、音をたてて崩れ落ちる。いや、そもそも「風景」ということばさえも。


 写真における「風景の死」ということはいつごろから表面化してきたのだろうか。正確な時点を指定するのは難しいが、たとえば、ニュートポグラフィックスという風景写真の革新的動向の旗手のひとりとされたルイス・ボルツの展開はひとつの手がかりとなるだろう。80年代、「パーク・シティ」から「サン・クエンテ ィンポイント」、そして「キャンドルスティック・ポイント」へと人間文明の終末を予感させる一連の黙示録的な風景作品を発表した後、90年台に入り、ボルツは、風景の場を去り高度技術の世界にのめり込む。1992年にポンピドーセンターで発表された『夜警』はその代表作である。巨大なカラーパネルにモニター画像を拡大して構成したその作品は、彼自らが切り開いてきた風景作品とはあまりにも異質なものであったため、賛否相半ばする問題作となった。この頃の自らの転回について、ボルツはこう述べ ている。「・・・80年代の私の仕事は黙示録的な含蓄をもっていた。 1990年になると、世界はある意味で終わってしまったように思 われた。...」

 ボルツの『夜警』が発表されたちょうど同じ年、風景の死に関するもう一つの重要な出来事があった。オランダ・ロッテルダムでの第3回写真ビエンナーレの開催である。そのメイン企画 「Waste Land Landscapes from now on」は、さまざまな国からピックアップされた50人以上の作家の作品で風景を巡る写真表現の動きを検証し、その方向性を探るという画期的な展覧会で あった。モノクロ写真作品からマット・マリカンのコンピュー タ・グラフィックスによる仮想都市風景やジェフリー・ショーの メディア作品まで包含したこの展覧会は、風景の概念自身を問いかけ、解体し、無化し、結果として伝統的な風景概念への死刑宣告を行ったのだった。ちなみに、この年、日本では柴田敏雄が 「日本典型」で第17回木村伊兵衛賞を受賞している。

 今回「現代写真の母型1999」展の第一弾で紹介する金村修に とっても、1992年は特別な記念すべき年であった。当時まだ個展も開いてない新鋭の写真家、金村修が、このロッテルダムでの画期的な展覧会に荒木経惟、土田ヒロミ、柴田敏雄、小林のりお という当時日本を代表する作家たちとともに日本人作家のひとりとして選ばれ国際デビューを果たせたのは、何故だったのだろ う。幸運の女神の微笑みもそこにはあったに違いないが、その運命を手繰り寄せて自らのものにしたのはやはり彼の写真自身の力にほかならない。展覧会の企画者のバース・ブルーゲが金村の作品をまとめて最初に見たのはこの川崎市市民ミュージアムであった。彼は、金村の写真に、柴田、小林という当時のニューランドスケープの作家たちとも異なる新たな可能性を見いだし、即座に作家リストに加えることにした。金村の写真は、オーソドックスなモノクロ写真でありながら、「風景」の伝統からの逸脱の徴候を示していたからである。風景を作ること、つまり、外界をベースに、ポジティブな意味でもネガティプな意味でも、なんらかの 統一的な「見え」を画像的に形成することは金村の写真では最初から拒絶されている。換言すると、金村は「風景の死」を前提と した地点からスタートしているのである。我々がそこに見るのは 「風景」ではない。「出来事」でも「事件」でもなく、「カクカクシカジカ」という「事態」にほかならない。

 「ノイズに満ちた」という形容は、たしかに、調和的な「見え」を端から拒絶した彼の写真を記述するのに相応しいかもしれない。しかし、それはたんにうるさいという些細な意味では ない。一触即発、危険に満ちた騒擾というよりラディカルな意味でのノイズ性なのだ。なぜなら、大変なことが作品と見る者の中で起こっているのだから。そこでは、モノもヒトも文字も、道路も建物もその価値において「水平化」されてしまっている(存 在的差異の水平化)。見る者には、自転車も電線も人も、視覚上で「同価」なものとして突きつけられる。まさに無差別的な「客 観」として。統一的な「見え」としての風景を成り立たせるのに 不可欠な存在のヒエラルキー(Hier-archie)と調和的な関係性 がここには欠如している。いや、最初から拒否されている。つまり、アナーキー(An-archie)な事態がそこには現出しているの である。伝統的な風景写真とファインプリントを礼拝するひとが、金村の作品に悪夢を見、アレルギーを感じ、あるいはなにか「暴力的なもの」が潜んでいると怯えてもおかしくはない。しかし、そうしたアレルギー反応は、逆に金村の写真の戦略の正しさ を証明するものになってしまう。

 数々の看板に踊る文字、文字、文字。金村作品にそこかしこに見られる文字の氾濫は、金村のアナーキー性のもうひとつの核をなす。文字が浮遊する様は、「現実とは何か」という問いを見る者の意識にたち上げはしないか。私は、ルネ・マグリットの「これはパイプではない」という作品を思い出す。その作品は画像を言語の論理に埋め込むことで生じるパラドックスによって、意識 の裂け目に私たちを迷い込ませる。金村の写真は、言葉を映像化することによって、意味の遊走性を引き起こし、無意味の淵を覗 かせるのだ。たとえば、金村の「止まれ見よ」は“トマレミヨ” ではあるがもはや「止まれ見よ」ではない。文脈から切り離された文字は辞書的意味の残響を残しつつも、画像化されて意味を流動化させてしまう。「けいひん」も“ケイヒン”であって「京浜」ではなくなってしまう。「来々軒」は“ライライケン”になれば、来々軒ではなくなってしまう。ことばの上でのヒエラルキ ーと指示の連関もガタガタと音をたてて揺らいでくる。かくして、モノの世界でのヒエラルキーと意味の世界でのヒエラルキー が震撼させられるとしたら、金村の写真の中のネオンサインの 「アヒル」に、本物のアヒルよりもリアリティがあると言う奴、あるいはそれに恋する奴が出てきても不思議はないだろう。


 まさに、"All the Needles on are red" (金村の98年の展覧会のタイト ルより)。 世紀末、我々が乗り込んだマシーンの操縦室の計器盤のすべての針がレッドゾーンに飛び込んでいる...スピード計、回転計、電圧計、電流計、油圧計、油温計、高度計...。マシーンは バラバラになる寸前。サイレンが鳴る。緊急事態の到来だ。その時点、その場所こそが金村の出発点であり、世紀末に生きる我々に対して彼が繰り返し繰り返し指し続ける根元的なトポスなのではないだろうか。そこから、天国に昇るのか、地獄へと堕ちるのかは誰も知らないのだが。

"Someday O.K. prince will come."


(深川雅文)

【金村修展・展示作品】(壁面ごとに)

1.東京筋肉列車 1996-98  [入口]

2.BLACK PARACHUTE EARS 1999  [中央]

3.ALL THE NEEDLES ON ARE RED 1998

4.Someday O.K. prince will come 1998

5.京浜マシンソウル1991-1996  [外壁面]

6.osamu kanemura video work 1999  [外壁面]









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