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review「人格的自律処理」小松浩子

2017年12月1日


執筆  深川雅文


写真の踏み絵 / 超克する写真         


会場全体を写真が壁と床も全てを這うように展示された空間を逍遥しながら視覚と思考を泳がせていると、いくつかの言葉が浮かんできた。そのいくつかを捕まえておこうと思う。


写真と彫刻という磁場を浮かばせる今回のプロジェクトのタイトル「鏡と穴 彫刻と写真の境面」は、スリリングで魅力的だ。というのは、写真の表現は、彫刻性 (Skluptur、Plastik) という概念と関わることで、その可能性を豊かに開いてきた歴史があるからである。


写真を展示する際に、伝統的な額から解放して壁に貼り付け、展示空間を構成するという手法は、20世紀のモダニズム芸術運動の中で際立った展開を見せた。1928年、ケルンで開催された写真の国際展「PRESSA」で、ロシアのコーナーを担当したエル・リシツキーは、壁に写真をグラフィカルな形で張り込み、写真による強烈なメッセージ空間を創出した。1929年、シュトゥットガルトで開催された歴史的な展覧会「映画と写真」の展示では、かかる手法をさらに先鋭化した展示空間がいくつも登場した。この時期の写真表現の解放と革新運動の中心にいたモホリ=ナジは、「写真は光の造形である」と唱道し、「空間造形」のメディアとして写真を定義し直した。さらに彼は、写真を、空間を作り出す造形的な力を持つメディアとして捉え、「フォト・プラスティーク」(写真・彫塑)という言葉で、写真の造形的な可能性を広げて見せた。写真を壁に張り込んで空間を造形するという発想の原型はここにある。ここから発生した巨大な「写真壁画」という展示方法は、万国博覧会等の1930年代の国際博覧会でのプレゼンテーションとして開花した。現代に眼を向けるとベッヒャー夫妻の仕事がある。初期の重要な写真集には、『匿名的彫刻 産業的構造物のタイポロジー』(1970年)というタイトルが付けられていた。また、1990年にドイツ代表として参加したヴェネチア・ビエンナーレで金獅子賞を受賞した時、写真家としてではなく、彫刻家としてその賞が与えられた。


小松の写真空間の体験は、そんな過去の歴史を蘇らせる一方、写真空間の創出において、これまでの試みとは異なる新たな次元を切り開きつつあるのではないかというヴィジョンが舞い降りてきた。小松の空間は、リシツキーに見られるような、何かのメッセージを発信する空間というモダニズム的な写真空間の典型からはほど遠く離れたところにあるのは自明であった。写真壁画的なプロパガンダとは無縁である。むしろ、メッセージ性を回避して、見る者の内部に生じる心の声を発声させるという空間と言っていいだろう。


壁に貼り詰められた写真空間という点で、より現在に近いところで体験したある展示を思い起こした。1989年のパリ写真月間で体験した、クリスチャン・ボルタンスキーの「死んだ人々」の展示である。美術館ではなく小さなギャラリーで、壁面が故人の写真で埋め尽くされていた。見ている自分が、逆に、写真上の故人の数多の眼差しによって見つめられていると感じさせられる濃密な空間の体験に圧倒された記憶がある。小松の空間はこうした展示とも大きく異なる体験をもたらす。というのは、壁面を写真が埋め尽くしていたとしても、正対する関係は保持されている点においては伝統的であった。床面に写真が貼られるている小松の写真空間はそれとは質的に異なる。小松の写真を見るためには、目を落とさないといけない。床面にまで写真が敷き詰められており、見る者はその上を自由に歩くことができる。およそ、伝統的な絵画ないしは写真鑑賞のシステムから大きく逸脱しているのである。歩きながら、写真に眼を落とす、顔を上げて壁に貼られた写真を見る。その見方は、「眼を落とした」眼差しの残響を引きずり、単に正対して見るだけの写真への見方とは異なった色彩を帯びてくる。


小松の展示では、日本の中小企業の作業場や資材置き場の光景を捉えた写真が3000点以上、床と壁を埋め尽くしている。巨大なロールペーパーに焼き付けられた同様の光景の写真がところどころに壁と床に大蛇のようにうねりながら姿を現している。また、ビデオモニターの画像が所々にチラついている。その異様な写真空間に立つと、見るものは、まず圧倒されるのかもしれない。自律神経が失調してしまいそうだ。が、いや、待てよ、と心を落ち着けて、歩きながら、ひとつひとつの写真に目を落として見たみた。この慣れない視線のモードにスイッチを入れ、歩き始めると、作品の「波」に乗れる感覚がしてきた。そして、それまで見えてこなかった作品の相貌が現れ出ててきた。


ひとつひとつ見比べていくと、捉えている場面の中身は当然、様々なのだが、その写真イメージのトーンと世界を柔らかにかつグッと力強くハグして掴み取るような感覚の粒揃えの妙に鳥肌が立ってきた。部分としての一枚一枚の写真の質と強度がほぼ一定のプラトー状態に保たれた上で、集合的に並べられた形で空間が構成されている。全体をまとめて体験する場合には、一見したところ、ひとつひとつの強度が背景に後退して見えるのであるが、実は、そうではない。弱い写真を集合させているのでは決してない。個々の写真の硬度と全体のスケールによって、テンションの高い写真空間が生み出されている。個に込められた作者のビジョンの剛性と構成の柔性が、全体の強さへと総合的に作用していると感じられた。


視点を変えると、個々の写真は、全体を構成するタイプとして精錬されており、音楽的意味での調整の統制が見事である。であるからこそ、空間を構成する基礎的なブロックとなりうるのである。写されているモノのタイプではなく、捉え方のタイプとしてひとつひとつの写真がいわば建材として全体の空間を造成している。その点で、この作品は、タイポロジカルな写真によるプラスティークということも可能であろう。


先に、ベッヒャー夫妻の初期の仕事、『匿名的彫刻 産業的構造物のタイポロジー』に触れた。ベッヒャーのタイポロジーの核心は、単に、同じタイプの被写体を集める、ということではなく、全体として比較することができる捉え方のタイプを様々な被写体にアプライして世界を収集するということにあった。表層的なタイポロジーではなく、深層的なタイポロジーと言っていいかもしれない。この「深層」の意味で、小松の仕事の根底には、タイポロジーの精神が、意識的か無意識的かはさておいて、流れ込んでいると思われた。その精神は、遡れば、アジェの仕事にも流れ出しているものであり、写真の力の源泉の一つにあると言えよう。つまり、その意味で、優れた意味で古典的ですらある。


さらに、写真に踏み込んでいくと、私には、アメリカの写真家で画家のチャールズ・シーラーの工場の作品のイメージを脳裏にのぼらせる時もあった。人によっては、それは、ルイス・ボルツのイメージであるかもしれないし、リー・フリードランダーのある写真であることもあるだろう。これは、作品の弱さを意味するのではなく、逆に、そうした写真表現の強烈な磁場にリンクしていく力を持ち合わせているという意味である。企画者の光田ゆりとのトークの中で、小松は、自分の作品に関して「抽象」という言葉を用いていて、腑に落ちた。シーラーにしても、ベッヒャーにしても、写真における「抽象」が表現の核心にあったからである。


写真の踏み絵…写真を美術作品として取り扱うギャラリーの方々には身の毛がよだつことかもしれない。この荒っぽさが、小松の作品には必然であった。それは、計算された荒っぽさではなく、小松にとっては自然な流れであった。個々のプリントは、ガラス入りの額に閉じ込められて展示されるモノではなく、印画紙の生々しい質感を含めて感じとられるべき表現体である。視覚的に感受された情報を触覚的感覚へと変換することを表現に取り込む試みは、20世紀初頭の芸術教育の実験において取り組まれていた ( 例えば、バウハウスでのモホリ=ナギ、アルバースの教程)。小松のむき出しに展示された写真 (全て銀塩写真の印画紙)は、その写真としての独自のテクスチャーの次元を立ち上げており、写真の持つ肌理、マチエールが、作品にとって不可欠な部分として見えてきた。液晶ディスプレイを通したツルツルのフラットな質感の画像の体験が支配的になった時代の中で、なおさら、そのプリントの質感はリアルなマテリアリティを伝えてくる。たとえ、世界のリアリティが蒸発したように見える時代が到来したとしても、写真のこのマテリアリティは、世界の存在を逆照射する力点となりうるのではないか。


小松の今回の展示は、写真表現の可能性に関する思索を、その過去と未来の両方向に解き放つ力を持っていた。デジタルのフォトメイキングシステムが確立した現在において、写真が表現体として自らを超克していく道を照らし出す作品であった。


(ふかがわ まさふみ キュレーター / クリティック)


展覧会名:「人格的自律処理」(「鏡と穴-彫刻と写真の界面 vol.4 小松浩子」)

キュレーター:光田ゆり(DIC川村記念美術館学芸員)

会期:2017年9月9日(土)-10月14日(土)

会場:ギャラリーαM


小松浩子公式ウェブサイト

The Official Website of Hiroko Komatsu


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