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essay 「幻視の洞窟」 川口珠生論

2018年7月7日


執筆  深川雅文


幻視の洞窟

 

この春、火と氷の島国、アイスランドの大地の一角に、白いフレームで四方を象られた箱状の物体がふんわりと降り立った。スケルトン状のモノリスにも見える。しばらくすると、ひとひとりが入れるほどのその物体の中に、キラキラと反射するメタリックなスーツに身を覆い、顔にゴーグルをつけた不思議な存在者が現れて入り込み、絵筆と画材を手にして、フレームの間に張られた半透明のスクリーンをいわばキャンバスとして内側から何やら絵を描き出す。描いているのが川口珠生である。描かれていくのは、その土地の自然に由来のある動物や魚、風景、あるいは想像が生み出したイメージである。その箱状のユニークな設えと絵描きの姿そしてその内側からスクリーンに描き出される諸々のイメージを見ていると、「絵を描くということは何なのだろう?」 という素朴な疑問が私に湧いてきて、人類史における絵の誕生の場面のイメージがぽんやりと浮かび上がってきた。あの太古の洞窟壁画の生誕の場である。それも、有名なラスコーやアルタミラの洞窟壁画からさらに時代を遡る、1994年に南仏で発見されたショーヴェ洞窟の瑞々しいばかりの壁画群が走馬灯のように脳裏を駆け抜けた。


洞窟の絵描きたちは、土地に共生する動物たちを洞窟の中でその岩壁に描いた。アイスランドを訪れた川口も、洞窟内で初めて絵を描いた人のように覆われた空間の内側から、土地の風土や生き物にインスパイアされた絵を描く。その空間は、洞窟内とは違い明るい光に満たされているが、描く姿は、あの壁画の画家に重なり合い、私の心の中でタイムトラベルを生み出したのである。今回のレジデンスで、川口は、移動可能な半透明なケイブを各所に設置しながら描くだけでなく、アトリエの一角をメタリックなケイブに仕立ててその空間で “Cave Painting” を進めた。さらに、土地の精霊に誘われるかのように人口の洞窟から外に出て、煌めく光の中、アイスランドの大自然と交感し、そこに生きる人々とのコミュニケーションを深めた。そこで生まれた絵画行為とそれを巡る映像は、ペインティングとパフォーマンスを往還する運動体としての川口の創造の姿を浮き彫りにする。いや、思えば、太古の洞窟の画家たちにとって、そこは、たんなる描きの場ではなく、自然界と他の人々との交感の場であり、祝祭の儀式や踊りなどの行為が渾然一体となった生の場であったのではないかという思いが過ぎる。絵を描くことの原点が、川口の仕業によって逆に照射されているのかもしれない。


洞窟で描くヒトとは、一体どういう存在だったのだろうか? そのヒトが、外にいる存在者(動物など)を岩壁に描くということ行為においてヒトと外界との新たな関係が生まれる。描くヒトは、外界とは別の想像の世界を作り出し、魂をいわば離脱させる道を開く。そのヒトの所業は、外界から人間の内的世界を剥離させ、魂を飛翔させる。とすれば、描くヒトとは、外の世界と内の世界を繋ぐ霊媒者と言ってもいい。外と内との媒介者=メディアとしての特別なヒトであった。それゆえに、そのヒトは、マレビト(稀人・客人)とされ、共同体の人びとのなかでは異なるヒトとなる。その意味では、異人=エイリアンなのだ。洞窟で絵が描かれる岩壁は硬いが、絵が描かれた表面は薄い皮膜であり、川口が描く薄く柔らかなフィルム面となんら変わりはない。とすれば、川口の描く行為は、洞窟壁画の歴史的な系譜にすっと連なっていく。今回の滞在では、“Alien on the Planet” という映像作品も生まれた。メタリックなボディスーツを纏った異人的な姿は、描くヒトとしての根本的なアイデンティティーとも繋がってゆく。


川口が入る “Cave Painting” のユニットは、もう一つ、視覚メディアの歴史上の出来事を連想させる。ルネサンスに確立された遠近画法をより簡単にかつ正確に可能にする装置として発明された「カメラ・オブスクラ」という装置である。ラテン語で「暗い部屋」という意味の名を持つこの装置は、今日の写真と動画からなる映像文化の根幹にある発明であり、「カメラ」の語源である。16世紀から17世紀にかけて、様々なタイプのカメラ・オブスクラが考案されたが、ひと一人が入り込んで中の壁面に映し出される映像を画筆でトレースして絵を描くという巨大なカメラ・オブスクラもあった ( これは、一つの人工的な「洞窟」と見ることもできよう)。川口のペインティングのための「箱」には、カメラ・オブスクラに固有のレンズなどは装着されていないが、そうした歴史上の描画装置を連想させる。古代の洞窟ともカメラ・オブスクラとも決定的に違うのが、その「箱」の中の明るさである。それは「明るい箱」であり、ラテン語で直訳すると「カメラ・ルシーダ」となる。川口が用いる描くための設えは、「明るい洞窟」と形容してもいいのかもしれない。


現地の風土に身を置きながら、「明るい洞窟」の中で絵を生み出す川口の行為は何を象徴しているのだろうか? アイスランド滞在中の作家とネットで交信しながらノートパソコン内蔵のカメラで見せてもらった風光、中でも、寒さに支配されながらもほとんど昼夜を分かたず辺りを支配しているアイスランドの光の独特な色調とその眩さは忘れられない。この土地で見られる神秘的な天空の発光現象、オーロラは、夜明けの曙光の到来を告げる女神の名から取られたものだった。アイスランドは光の国であった。大地に溢れる光が絵を画家の心の中に差し出し、川口はそれを受け取って描いたのである。洞窟の暗闇の中、灯された火の光が描くヒトに導きを与えた。モホイ=ナジは、暗室の中で、人口の光に導かれて「フォトグラム」を発見した。「オブスクラ」か「ルシーダ」かという区別を超えて、絵画の誕生の場には常に、光があった。


『色彩論』も著したドイツの文学者、ゲーテの最後の言葉が浮かんでくる。


もっと光を! Mehr Licht!



(ふかがわ まさふみ キュレーター / クリティック)



●本展に関する映像作品(4点)( 川口珠生公式Websiteより)








※本テクストは、「川口珠生展」(2018.07.14 - 07.28 @特定非営利活動法人キャズ 大阪)の展覧会パンフレットに寄稿したものである。


展覧会名 川口珠生展

会期 2018年7月14日~7月28日 会場 特定非営利活動法人キャズ(CAS) 住所 大阪府大阪市浪速区元町1-2-25

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